自己啓発書に啓発される人間が“とてもつまらない”ただ1つの理由
ちどみと申します。
私は本の虫。本屋で本の流行を把握するのも大好きだ。
よって数多くの本のタイトルに触れる機会も多い。
しかし数ある本の中でも、生理的に受け付け難い本の題がある。
誰かを否定する題は好きじゃない。
新書にありがちな政治本の題に「バカ」と付けられるたびに
「相手にバカと言うのはいかがなものですかな」と
生えてもいない長い顎ひげをなでたくなるものだ。
私は優しい世界を願う1人に過ぎない。
が、
自己啓発書に啓発される人はつまらない人が多い。
もっと確信めいたことを言えば、
その人が歩んだ人生が面白く無いがゆえに
自己啓発書を読まないと生きるノウハウを得られないカラダになっている。
いや何が「否定する題は好きじゃない」やねん。
でも何となく皆が心の底で感じていることだと思った次第。
内容は完結で短くまとめたので、良かったら読んでみてください!
自己啓発書に書いていあることは正しい。
一部の奇抜な意見や言動を除いて、自己啓発書には
- 思わず唸ってしまうほどのぶっとい生きる知恵
- 感じていたモヤモヤを言語化したソリューション
などなど、とにかく目白押しだ。
7つの習慣を完遂すれば本人の何かの能力は上昇が見込まれるだろうし、
アドラーの個人心理学を徹底すれば目的志向で行動的な魅力ある人間になるだろう。
「果たして効果があるのか?」と疑う人もいるし
「そんなこと知ってるよ」と一瞥する人もいるだろうが、
私はこうした自己啓発本の記述は「実践すれば効果がある」、
「知っていても読んだ方がいい内容が多い」と思っている。
自己啓発書に罪は無い。罪は、読み手にある。
自己啓発書を読んで、その教えを隈なく遂行できた人は極めて少ないと思う。
自己啓発の果実をうまく享受できていない。
なぜか?
私が考えた理由の一つはこれだ。
「自己啓発の結論に達するプロセスを読書にかまけてサボったから」
あなたが自己啓発書を読んでいるうちに、
将来の自己啓発著者は汗水流して仕事して努力して、
生きるノウハウ・幸せになるための果実を得ているのだ。
ここだ。
笑ってしまうほど過程が違う。過程の息遣い、過程の説得力が違う。
2019年12月、M-1優勝のミルクボーイは
コーンフレークの特徴をぶった斬るネタを披露したが、その中で
「コーンフレークは朝から楽して腹を満たしたい煩悩の塊である」
と説明するツッコミがあった。声を大にして言いたい。
自己啓発書はコーンフレークである。
コーンフレークやないか!
自己啓発書に浸っているあなたは楽をしたいのだ。
何かと理由をつけて、即座に「人生の指針」を身につけようとする。
良いのか?そんなコーンフレークで腹を満たす生活で。
あなたに尊厳は無いのか。
ぺこぱでも無い限り時は戻せない。自己啓発書で潰した時間は戻らない。
ではどうするか。
それをここで○○選!!!と謳えば
この記事も上記で批判した自己啓発の構造に陥ってしまう。
よって私から言えることは少ないが、
泥水すすって得た成果は何にも替え難い宝石だと思う。
少なくともコーンフレークよりは十分な価値があるのではないか。
面白みの無い人は、今すぐにでも面白くなればいい。
アドラーは一歩踏み出す精神的障壁を「愛」と「勇気」で
乗り越えることを推奨した。
コヴィー博士は自著が何より「実践すること」で完成されることを説いた。
書いてあるじゃないか。答えが。
書き手は全力を尽くした。あとは読み手が全力を尽くすだけだ。
読むだけじゃあいけない。頑張ってください。
いま、「何を頑張ればいいの?」と思ったあなた。
そういうとこだぞ。
世間はあなたのお母さんではない。
ここで私が指針を書いてどうなりますか。想像してください。
利根川節で本記事を終わりにしますね。
以上。
それっぽいことを書き連ねたが全て私の経験談である。
何かが欲しかった。自分の人生を豊かにする何かが。
楽をしたかった。手っ取り早く手に入れたかった。
たいていの知識はそれで良いと考える。楽して理解できてなんぼだ。
楽した分、残りの時間を有効に使えば良い。
それ相応かそれ以上の労苦と時間がつきものだ。
そうやってパーソナライズされているあなた専用のガンダムなのだ。
私もまだまだ道中。H&Hのジンも言っている。
道草を楽しめ 大いにな
ほしいものより大切なものが きっとそっちにころがっている
最後まで見ていただきありがとうございました。
「嫌われる勇気」、読み直そうかな。